Sugar&Spice GUMBO趣味あまから手帳「滋味風味」
すぐそばにあるBluesやHumor、その他もろもろの雑談横丁。
このところ、フィギュアスケート関係の話が多いです。
「あまから」といいつつ、言いたい放題の辛口御免。
その上不定期。気まぐれワガママ放題の無法地帯。
どうぞ大目に見てください。

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日曜日よりの使者 17:31
JUGEMテーマ:音楽


清志郎が虹を渡っていって1ヶ月ぐらいから、やっと人に話せる状態になってきた。
久留米から来た友人に話をしたり、仕事友達にちらっと打ち明けてみたりができるようになった。
そして、ここでも少し書こうかな、と思っていたら…今度はマイケル・ジャクソンが亡くなってしまった。
そうなるとこんどはまた、言い出しにくい気分になってしまいました。
誰に気兼ねをするでもないのにねえ。

しかし、やっぱりこのままなんとなく「過ぎたこと」になってしまうのはいやだ。
人間というのは不思議なモノで、「何かを残す」「存在に出逢う」という時にそれは、物理的な距離や時間的な長さではないのだろうと思える。
それにAサンとBさんにとっては、同じCさんの存在でもその意味が違うのだ。
ほんとに、不思議なことです。

さて先日。
私の音盤アーティスト達に出演をお願いし、架空追悼ライブをしてもらった。
題して「架空boss追悼コンサート」!!!


オープニングは色々迷ったが、ハイロウズ。
というか中でもシメでも、何度でも出てもらった。
「日曜日の使者」は、ヒロトはダウンタウン松本の事を書いたというのが定説だが、
私には飄々としたbossもイメージにぴったりなのだ。
「スーパーソニックジェットボーイ」「ハイロウズのテーマ」もそう。
怒っているがどっかマンガっぽくかわいくユーモアがある。
「笑える」というのは、凄いパワーなのだ。

特別ゲストは、オーティス・レディング「Try A Little Tenderness」。
こうやってきくと、清志郎はオーティスの域まで十二分に達していたな、
同じ世界で肩組めるよな、と思う。きっと、天国でデュエットしているだろう。
それに、The Rolling Stones。私の希望で「She's A Rainbow」をしてもらった。

中頃には、「キモチE」を、真心ブラザーズに。
これはRCのカバーだけど、RCのよりもファンク寄りで、ユキが入っているこっちも大好き。
そして真心には続けて「Endless Summer Nude」をお願いする。
実は私的には、この曲はこのイベントのハイライトなのだ。というと違和感を持つ人がいるかもしれないけど。
この曲は一見、忌野清志郎とは違う世界のようだが、実は根っこは一緒だと思っている。
甘酸っぱく苦いこの一瞬に立ち向かい生ききる、時間と想いが凝縮されている。
時代が変わっても、「市営グランドの駐車場に車を止めて聴いた 彼女の寝言」と、
「走る車に誇らしげにはためくT シャツ」とは、同種の切ないヒリヒリ感がある。
その描き方がまた、最高に高度で詩的という点で、この曲は後継者だと思う。

終盤には、やはりどんとに降りてきてもらう。
「もしもし、OK!」などは、私から電話をしたいよ。
「助けて!フラワーマン」なども、清志郎じゃないかと思ったりする。
つくづくどんとは、清志郎になりたかったんだろうと思う。
紅一点、Leyonaに来てもらって。もちろん「500マイル」と
ここは一つ明るく「Travelin' man」もいいかなと。
これのプロデュースは、Dr.Kyonだ。確かbossといっしょにやったよね、Kyonも。

そして最後には、また、「日曜日よりの使者」。ブックエンドのテーマ、ではないけど、
この曲は、「アメイジング・グレイス」に似ているので、追悼にはぴったり来る。
それに、こうやって明るく歌って行進するのは、ニューオーリンズ式葬式なのだ。
南部ニューオーリンズのようにおくるのもいいじゃないか。
清志郎も気に入ってくれる気がするぜ。


*****

亡くなってすぐのマスメディアで流れていた清志郎へのイメージ…は、私にとっては「違和感」だらけだった。
誰も彼を的確に言い切っていないような気がして。おそらく大多数の人もそうだったのではないだろうか。簡単に言い切れるような、そんな人じゃなかったんだから。
「言葉と肉体を獲得してオトナの男になった、初めてのロックアーティスト」という私の総括にしても、多くの人と共有できるモノではないのかもしれない。

そんな中で、「さすが」と思ったのはロッキング・オン・ジャパン特別号。渋谷陽一は一番身近にインタビューでずばっと切り込んでいった人。良き理解者だったと思う。訃報に接してすぐの言葉は、短くても的確で、さすがだと思った。というかきっと、私と同じことを言ってるな、と言う気がする。

凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。

後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。

彼には肉体化されたロックの思想があり、自分の肉体が自然に発するビートや言葉が、常に正しくロックである自信があったからだ。


編集長・山崎浩一郎氏の後書きは、溜飲を思いっきり下げてくれるものだった。

それは清志郎が世間の常識や制限を超えて誰よりもロックの「自由」を体現してきたからであり、それらの歌には時代や世代を超えて伝わる「普遍性」があった からだ。そしてもう一つ、清志郎には「闘う」という不屈の意志があった。表現の自由を奪おうとする権力に対して徹底的に闘う姿勢があった。 清志郎を語る時、このどれもが欠けてはならない。

実は「自由」「不自由」に縛られている存在そのものが「不自由」である。つまりそれはいずれ誰もが死ぬ、ということなんだけど、
それに対しても清志郎はきっちり戦い受け入れた。
その上で、「高くジャンプするよ」と歌った事を思うと、何度でも涙が出てしまう。
「自由」を手に入れることはできない。しかし、「魂の自由」の崇高さが、人を救うのだ。
それは、嘆き悲しむ、のではなく「祈り」なんだろう。

「神よ、変えることのできないものを受け入れゆく清澄さ(serenity)を、変えるべき
ものを変える勇気(courage)を、そして両者を見分ける智慧(wisdom)を、これら三つ
のことを私にお与え下さい。」(ラインハルト・ニーバー)


Soul,Bluesと言う音楽の根源は「命の共感と祈り」である(と私は思っている)。
底なし沼のような悲しみや苦しみもあっただろう。人間だもの。
でも、彼はソウルをしっていた。ブルーズを歌っていた。
神と先人達が微笑んで、きっと清志郎と共にいたに違いない。
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