Sugar&Spice GUMBO趣味あまから手帳「滋味風味」
すぐそばにあるBluesやHumor、その他もろもろの雑談横丁。
このところ、フィギュアスケート関係の話が多いです。
「あまから」といいつつ、言いたい放題の辛口御免。
その上不定期。気まぐれワガママ放題の無法地帯。
どうぞ大目に見てください。

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「私は未来主義者でも過去主義者でもない、まさに現在主義者(プレゼンティスト)である」村野藤吾 14:02
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とにかく、11月はがっぷり「村野藤吾」月間でした。

村野藤吾、という建築家は知っている人には巨匠だが、一般的には丹下健三や安藤忠雄という建築家の方が
名前は知られているかも知れない。
でも、きっとだれでもこの人の建築を見たり接したりしたことはあるはず。
歌謡祭やスターの豪華披露宴などの会場でよくテレビ中継される新高輪プリンス(現・グランドプリンスホテル新高輪)の「飛天の間」。
あれは村野藤吾です。
東京で言えば日生劇場、あの何とも言えない一種異様な、有機的な空間。
早稲田大学もそうだし、みずほ銀行の本店あのほっそーいとんがりの船のようなビルもだ。
これは誰もが知ってるけど中は見たことがないだろう…迎賓館。
関西で言えば、あっとおどろくのが難波の新歌舞伎座。あの古典的で派手派手が。
そして、これもおしまれつつ解体してしまった心斎橋そごうとか。
(心斎橋は、大丸がヴォーリズのネオ・ゴシックに村野藤吾のそごうがアールデコ、と見事な
並びであったわけだ)
他にも、いろいろあげればきりがない。

私も実は「村野藤吾」について詳しくはなかったのだが、これらの豪華絢爛で圧倒的な「力」のある名作達から強烈なインパクトを感じた体験がある。
しかしこれらの生みの親が、宇部で出世作や晩年作を残しているとは、
まったく結びついていませんでした。

結びつけたのは、高校生の小猿くん。
小猿くんは中学の時、自由研究に「宇部にはどうして高層建築物がないのか」という自分の疑問をテーマにして
市内で唯一高い「宇部全日空ホテル」に単身取材に乗り込んだそうだ(これはあとで聞いた話です)
対応してくださった宇部興産の方がとても親切な方で、さまざまな建築の規制や宇部の地盤、などとともに、「宇部興産ビル」を設計された村野藤吾氏の話を教えてくれて、案内をしてくれた上に
貴重な当時のビルパンフレットを小猿にくれたのです。
小猿は俄然村野藤吾に興味を持ち、ネットや本やらであちこち調べ上げ、すっかり
村野藤吾の大ファンになりました。
特に、戦前建築の名作で村野藤吾の代表作である「渡辺翁記念会館」がこんなに身近にあることに、とても誇りを持っていて
見たり会館に入ったりするごとに「ここがスゴイ」「これはすごい」と、本当に涎をたらすように鑑賞し尽くしています。
コマーシャルな村野建築でなくても、その素晴らしさはぎゅうっと詰まってる。

小猿くんも私も、まあ多少マニアックではあるけど、
決して建築の専門家ではないし、知識も乏しい。
でも、詳しいことをしらなくっても、「何これ?!」と思うくらい村野藤吾って
不思議で有機的で結構何でもありで、大きくって大胆でそのくせもう細かい所まで凝っていて
機能だけでない理性だけでない、何か圧倒的な「生命力」を感じるので、
ちょっと注目したら充分楽しめる。
というか、これを知らずに楽しまないのは、モッタイナイ!

「宇部さんぽ隊」という企画でこの建物探訪を出したのは、そんなところからでした。


レポをする上に置いて、私が追ったテーマは2つ。
「村野藤吾とはどのような人なのか?」
「村野藤吾はと宇部の繋がりは何か?」

取材をして現物と向き合い、資料や出版物を調べていくにつけ、感じたことは
村野藤吾は常に「社会と生きる人との関わり方・繋がり方」に高い問題意識を
持っていた、という事でした。
青春時代に空気を吸った大正ヒューマニズムと、戦前〜戦中〜戦後と世界の変動とのあいだで
理想や幸福の絶対的な答えはなく、
あるとすれば、今(そしてこれから)「生きる」人間の命を大切にすることが
答えにつながると、感じられていたような気がするのです。
それこそ晩年まで、その思いで仕事をされていたように感じるわけです。

意匠で特徴的な「曲線」も、このカーヴしかない、絶妙なラインで
大げさな無駄はみじんもなく
素人でもウキウキと楽しく、品があってここちいい。

そう思うと、宇部という街は村野藤吾との「相性」が良かったのではないか
という気がするのです。
戦前、宇部興産が大発展を遂げた時期でしたが、この会社や宇部という街は
三井や三菱などの財閥系資本がどーんと入って炭鉱開発や工業発展を実現したのではなく
地元の資産家や起業家が何人も協力して地域発展に尽力した、という
非常に特異な「市民主義」で発展してきた、という経緯があります。
もちろん、たくさんの労働者の苦労や生活が支えになっていることも事実で、朝鮮からの労働者の悲惨な歴史なども裏にはあるわけですが
それを含めた上で、自分たちの生活の中で社会を創っていく、という「リアル感」があるわけです。
村野藤吾の「ヒューマニズムとリアル感」は、そのような宇部の思想にあっていたように、思ったのです。

そして今、宇部だけでない、これからの社会の「生活のあるべき姿」は、
それが最も大切なのではないかと。

「過去や現在と決別し未来の理想を具象化する」モダニズムの思想や
「過去の遺産こそが価値」という古典主義や
「理想なんてないさ、皮膚感覚こそ命」というポストモダンとは
明らかに違う。
だって、人間って、すべての生活は一色に決められないものでしょう?
どれかの選択はどれかの否定。でもそんなことでは、生活はできないわけですよ。

村野藤吾はそういう意味で、ポストモダン時代などは特に「折衷主義」と言われて
評価が低かった時代もあるようです。でも、
私は、その「バランス感覚」や
「どれも否定しないリアル感覚=人間性への深い理解と包含的優しさ」
が、今の時代にぴったりだとも感じているのです。

タイトルの言葉は、村野藤吾が1919年に発表した論文『様式の上にあれ』の中の名句です。
〜主義、〜イズムという枠組みの入れ物に、人の生活を押し込めるのではなく
今生きる人の幸せや感覚を大切にしようというこの言葉は、
決して「今良ければいい」という刹那的なモノではなく、
「過去のすばらしさを享受する楽しさ、未来の素晴らしさを夢見ることの大切さ、
現在の時を過ごす喜び」これらをすべて否定しない、
という意味ではないでしょうか。
そこにはすべて、「人間性の本質」があるからです。


特にそれを確信したのは、このエピソード。
村野藤吾氏は晩年になって再び、マルクスの『資本論』を読み始め、
毎日電車の中で1ページずつ読んでいるので死ぬまでに読み終えられるか分からない、
というインタビューでした。

人間と社会の本質的なありようを、ずっと問い続けた村野藤吾氏の初期代表作と最晩年作が
人間と社会のあるべき姿を自ら創ろうと苦労を重ねてきた宇部という街にあるというのは
非常に深い意味がある、これは偶然なんじゃない、とそんな気がしています。

ということで、拙文ですが、『フリーペーパー ELF 』12月号(Vol.10)
昨日配布が始まりました。是非読んでいただければ幸いです。
他にも楽しい企画が一杯!
(特に、CrossLandの記事広告はがんばりました!300円の割引券もついているので
ぜひ使ってね!)























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白石悦子版画展 13:47
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こういう話は開催中にアップすべきなんだけど、いつも写真撮っていろいろあって後回し…
で申し訳ないです。

連休前にhachiで開催されていた白石悦子さんの版画展でした。
オーナーの蕨根さんが「すっごいひと見つけちゃったんですよ!」といってみせてくれた1枚は
細密で繊細で独特の世界の作品。
今回は、ペン画から木版、エッチング?とさまざまな種類の小作品と
手書きの絵本(これがまた凄い!絵も文字ももちろんストーリーもオール精密な手書き)

私の印象としては、アリスと、宮沢賢治、と,稲垣足穂 とますむらひろし
が不思議とあわさった味わい。

すべての絵にはその背景となる「完璧なもう一つの世界」があって、
その世界観は白石さんの古地図のように成立している、というか生きているんです。
すべての小さきモノが。



ファンタジーを苦手としている私は、ほんとに、白石さんのあの頭の中にそんな世界と
ストーリーがつまっていること自体が、不思議。白石さんて、同じ人間…?(いやほめてます)
たぶん、白石さんには、見えている。
その世界は、確かに存在する。

そんな風におもえるアーティストって、久しぶりにお会いしました。






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NICE Performance!! 15:52
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 宇部市の商店街・新天町。
いつもは、こんな感じ…かな?


裏の飲み屋街も好きです。



とまあ、私的には悪くないのですがやはりシャッター街では寂しいと
「シャッターアート」を描かれている方がいらっしゃいまして
それも少しずつ、いろんな方が係わって。
シャッターが閉まっていても、ちょっと心あたたまるような絵が増えています。



モデルは絵のお手伝いをしているハラシマさん。




24日に、この絵の完成会、ということでイベントがありました。

下絵を描かれた方が登場。大きく壁に貼った紙に向かって


クラゲ?UFO?



宇宙人のメッセージ?



ちょこちょこ描き足して



下の方も手直し?



できたかな?



さあ、壁からハズします。



反対側のお店に貼って…あれれ?



どうもありがとう!!

ナイスパフォーマンスでした!!!
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根っこを語る言葉がききたい。第23回 UBE ビエンナーレ’09 10:33
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先週の日曜から「第23回UBEビエンナーレ」が始まった。国内屈指の野外彫刻展である。
オープニングのイベントで「彫刻家と一般市民とのパネルディスカッション」があり、うちの小猿が「彫刻の好きな地元子供代表」で列席。もちょっとちゃんとしゃべれよ!そこはその話じゃないだろ!と客席でやきもきしながら見守る母であったw まあ、子供のことはあんなもんでしょう。

 宇部市が野外彫刻展を開催しその作品を買い取って市内に設置することについて、一般市民はどのくらい関心と理解があるのだろうか?
パネルディスカッションを主催した「彫刻ファンクラブ」というボランティア団体は、元々市内のトイレ掃除から始めた団体だった。それが「わが街には彫刻があるではないか!」とはたと気づき、彫刻の清掃を始めたそうである。そのような「触れる」機会を持つことで、それぞれの作品がぐっと「身近」になったという話があった。
「風景」だった個々の作品が、自分と関わる「隣人」になったのである。存在の意味と理屈を頭で考えるよりも、まず接してふれあうことで「共に生きる・共存する」仲間として同じ空間に生き始めたのだ。これはかなり感動的な話ではないだろうか。
 
でもそれだけでいいのかといえば、やはり「何か」が足りないのでは…という気がするだが。






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創作は出逢いと発見だ。 09:17
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先週の土曜日、「UBE ビエンナーレ’09」関連イベント第2弾
「村中保彦ワークショップ ユラユラ動く、モビール彫刻をつくろう」に
参加撮影させていただきました。

村中保彦氏


こんな大変楽しい作品をつくられていて、子供達にも親しまれている人気作家です。
http://www.h3.dion.ne.jp/~muranaka/coutents/kankyouzoukei/sculpture/ube22.html
前回はカバ、今回はキリンだそうです!
そんな村中さんのモビール。うさぎのおしりと足が、妙に色っぽい!


さて、ワークショップです。
tysの「ちぐまや家族」が取材にきていまして、なんとオッキーこと沖永優子さんも
ワークショップに参加!
オッキー、間近でお会いしたら、テレビもそうだけど実際も
めちゃくちゃ美人でかわいかった…!!


普段「金属」の加工などはあまり経験のない子供達は、アルミ金属板を切ることだけで必死。
それも、思い思いのカタチにチャレンジするモノだから…ウサギとカメあり、トランプ柄あり、お花あり。
たたいてでこぼこにしたりグラインダーで表面をマットにしたり、やり始めたらもう夢中です。
オッキーは「雲」にチャレンジしていました。ゆらゆらゆれて、イイカンジです。



うちの小猿(といってももう高一)も引っ張り込まれて参加…が、学芸員の山本さん
と「お兄ちゃんチーム」を組んで大作に挑戦する。
そこへ、外の彫刻設置にいそしんでおられる作家・武荒信顕氏が休憩中にちらっと立ち寄って
「彫刻家のサガや…」といいつつ
小猿の作品をいっしょになって手伝ってくださいました。
「こんなカタチがあってもいいよね」
「角を削るのは、直線ではなく、弧をを描くように削るんだよ」


荒武氏のアドヴァイスのひとことひとことには、重さがあります。

「彫刻というのは、親しみを込めて触れてくる人がいる。人を拒否する作品、というのもある。そういう作品をつくりたいときは、とげとげにして近寄らせないようにしたりね。
でも、親しんでもらう作品にしたいなら、近寄ってくる人に怪我をさせちゃいけない。だから、角はしっかり削らなきゃいけないんだよ」

…見る人、触れる人の「行動」を考えてその人と「どうありたいか」までを創り出す。
その「関係性」が作品なんだと。
色、カタチ、素材、質感、触感、そして場所との調和とメッセージ性、前提として、安全性。
すべてを考え尽くされたモノが「作品」なんだ。
野外設置の彫刻が持つ「社会性と責任」を教えていただいた気がします。

しかしなんという贅沢。本物の彫刻家の方とのコラボ!
「彫刻家志望」だった小猿にとっては、夢のような時間だったに違いない。

モノをつくるというのは、ほんとうにどんな小さなものでも夢中になれるし、感動的です。
生まれたものは、自分の何かだったり分身だったり、アイディアと根源的な好奇心だったり
いつもは使っていない、自分の「右脳」が活性化して、うれしがって回転しているのが実感できます。
やはり、夢中になって遊んだ子供の頃の感じに似ている、あのワクワク感。
それらが、最終的に無からカタチを持って生まれるのです。

「モビールで、普段見えない『風』というのものを感じる、という発見をして欲しい。
そして、普段手にしない金属を加工することで、つくる楽しさを見つけて欲しい」
と、村中氏。
素材やモノとの新しい出逢い、そして眠っている「やんちゃ」な自分の再発見。
これこそ、彫刻のパワーです、

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ことばにならないもの 21:59
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  先週土曜日は、 ビエンナーレイベント「杉山雅之ファクトリートーク〜歩行視のためのオブジェ」に参加しました。

船木の加藤鉄工所で、現地制作の作品とその現場を体験し、
作家の杉山さんの制作にまつわるお話を伺うというもの。参加者は20数名。
ときわ公園で「彫刻」があるのは、宇部市民にとってはいわば「日常」なのですが
船木ののどかな風景のなかの鉄工所、そこにあるオブジェ。
それはまた不思議な光景、といいましょうか。



最初に杉山氏の紹介があり、制作者の加藤社長、星野さんの紹介がありました。
「現地制作というのは初めての試みでした が、(工場の方は)全く畑違いで
戸惑われることも多かったと思います。
そんな中『上にほこりがついているから洗った方がいいのではないですか?』等、
制作者としての提案をいただいたのがうれしかった。
作品は作家一人だけではなく、このような現場の方々をはじめとして、
いろんな方の協力があって生まれてくる のです」と杉山氏。イイお話です。


審査提出のための模型でお話しする杉山氏

そして杉山氏自ら「歩行視とは何か」についての話。
モノがある、見る私がいる、という関係ではなく、見る私が動く=「歩行する」
それによって見え方・光・がどんどん変わっていく、という相対的・双方向的な関係を持たせたい、という作品。「歩行視」というのは、造語だそうだ。
主体と客体、がそれぞれあるのではなく、それぞれが「客体」だという視点。
視る自分は、視られる自分になって、感じる自分は変化させられる自分になるのだ。
な、なるほど…と参加者は生まれてきた作品のまわりをぐるぐるまわる。



これは、「「私が、私は」という主張だけでは一方通行である。お互いが客体になって
お互いの状態に向き合い変化し合いそれを受け入れる柔軟さ、という人間関係」
に通じるような気がする、と思ったのだけど、これは深読みしすぎかもしれない。
現代彫刻というのは、もっと素朴な「驚き」や「発見」や「不思議さ」や
要するに日常や常識からはみ出た「自由さと可能性」の世界なのだから。

そしてフリートークになると、参加者から活発な質問が次々とあがりました。
普段の制作にまつわる話や、宇部ビエンナーレの印象、
制作のアイディアや生まれてくるいきさつ、等々…。
笑いあり驚きアリ、作家の方がとても身近に感じられたひとときになりました。
ああ、彫刻家も同じ人間なんだよな、と言う安堵感と共感。

 

印象的だったのは
「学生の時にビエンナーレを初めて見に来たとき、『こんなもんかな』と思った。
もっと驚くような今までにないよ うなものが出るかと思っていたのです。
でもそれからずっと『自分の中にある彫刻』を探り続けているのです。
それは…どんなものかというのは、いつも上手く言葉にはできないんですけどね」

言葉でも写真でも、到底そのレベルにはおいつかないけれど
「どっかでみた上手な絵」を欲しいのではなくて
「誰かが言ったわかりやすい慰み」をばらまきたいのではなくて
日常をぺらっと裏返したり脳みその裏側をいったら知らない空き地があって
そこであそんでいるなんだかコツンとしたカタチのないものを
だれもうまくいっていなかった私だけのカタチを
引っ張り出してくることなんだろうかと思う。


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Simple is Beautiful 18:01
 
前のことになってしまいますが、hachiで展示されていた「急須とお茶まわり展」。
とても素晴らしい展示会でした。
防府の陶芸作家・間鍋竹士さんの急須や湯飲み、フリーカップと
針子作家・カナリヤさんのティーマット、のコラボでした。

間鍋竹士さんの急須とお湯のみなどのお茶廻り作品は、とにかく曲線がシンプルで美しい。まるで、双曲線や放物線が有機的だが無駄のない究極の美のように。
そして、色は暖かいのに透明感があるというか。
触感はざらっとしているマットな土感もあれば、ドキッとするような「硬質」な金属のような鈍い光を放つ塗りをしているのもあった。色も微妙な違いがあって、まるで「土のマカロン」のようなかわいらしいピンクがかったものもある。
持つと、薄さ・軽さが、繊細。
「上質で洗練された生活感」「品性のある土着感」を感じます。

間鍋竹士さんは、地元の土を自分で採取して材料とするのだそうだ。
あちこちの土を試してブレンドして、ここならではの最高の配分を追求する。
もちろん、いい陶芸には「いい土」が必要だが、
「ブランド土」でなく、地元の土を自分の足で追求していく、というのがすごい。
その上、ご自分で農業もされている。その作物の藁や灰で、陶芸の釉薬をつくられたりしているのだ。地産地消、自然の大きなサイクルの中での制作。
「自分の作品とか、生活に関わるモノが、何でできているのか。その辺からきちんと知っておきたいと思うようになって。食べ物でもそうですけど」。学生時代は理系だったので苦にならない、とおっしゃる。まるで「オトコノコの実験好き」みたいなところも、ある。

そのような「わくわくする追求」ともう一つ、間鍋さんには「アフリカ体験」という側面がある。
「NPOに入って、陶芸の技術協力で行っていました(注:すみません国名失念しました)。現地の人の「幸福感」を体験したのが大きいかもしれません。太陽が昇ったら、毎日のんびりと、自分たちの使う器や道具造って、それで一日が終わる。でもそこには、その人の「工夫」や「楽しみ」があって、「いいのができた!」とニコニコしているんですよね。これこそ「デザイン」なんですよね、そしてそのデザインで幸せを味わっている。モノヅクリの原点を見たような気がしました。時間の流れや生活の深さが、全然違う。日本での生活、自分の生活って何なんだろう?と思いました。私の方が、教えられて帰ってきたんです」

ああ、間鍋さんの作品の「品性」「優しさ」「洗練」「確信」の根っこは、決して浮ついたハイライフ志向や「日本の田舎に帰る」志向ではなくて、もっと大きな視点・大きな世界観と深い「人間の生活」への共感からきているのだなあ、と、作品を見ながら再認識してしまったのでした。



まるで、オブジェのようなカーヴ。



すっきりとした色とデザイン。そして持ち心地・使い勝手まで、「優しさ」を感じます。

ありがたいことに、情報芸術センターのパンフレットに間鍋竹士さんの作品紹介写真として、遣っていただけることになりました。


そして、今回、ティーマットを制作された、カナリヤさん。
綺麗な手縫いのお針子模様はまた、日本伝統でありながら、どこかすっきりと洗練されていてやはり「土臭くない」感じ。
糸の色ひとつのグラデーションひとつにも、こまやかな心遣いとセンスが行き届いている、そんな作品です。
そんな素敵なおふたりと、作品たち。





まるで向田邦子さんのような、素敵なたたずまいのカナリヤさん。
あまりにいいので、モノクロで時間を止めちゃいました。
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橋の上に男は「いた」。…フォルティエ×田邊アツシ+田邊るみ「A MAN ON THE BRIDGE」  18:22


先日の水曜日は、久しぶりにおとなりの山口市へ行ってみた。そこの情報芸術センターでやっていたのがこれ。

フォルティエ×田邊アツシ+田邊るみ 記録映像・写真展
「A MAN ON THE BRIDGE」
橋の上で30日間踊り続けた男と街が作った夏の記憶。

http://www.ycam.jp/?module=event&action=show&id=501

現代ダンスを1人異国で、それも生活圏で30日踊り続ける、というプロジェクトは「へ?何これ?」と違和感と異物感、奇異な感覚を与えるものだ。
特に、ヨーロッパでもアメリカでもなくましてや東京でもないこんな地方都市である。

この展示に一歩入った途端、大スクリーンの映像がある。周りのグリッドには、写真が展示されている。

現代ダンスなどには疎い私であるので、実際に彼が踊っているのを見ていたならやはり「これはなんだ?」と頭から?マークばかりをとばしているだけだったかもしれない。
しかし、写真と映像、というメディアに変換された「彼」を見ていると、次第に、とても神々しく気高く凛として綺麗な精神というか、清々しい清廉さと思慮深さとを感じると同時に、決して「自分が自分が」というような押しつけがましさのない周囲との融和性というか柔らかで穏やかさのヴァイブレーションが伝わってきたのです。

何かを言いたい、のではないんだろう。でも何かをここで「創りたい」、
そして、ここに何かがあることを「示したい」のだ。
そんなことが頭をかすめました。

それはまさしく、最近感じている「そこに在ること」そのものでした。




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