Sugar&Spice GUMBO趣味あまから手帳「滋味風味」
すぐそばにあるBluesやHumor、その他もろもろの雑談横丁。
このところ、フィギュアスケート関係の話が多いです。
「あまから」といいつつ、言いたい放題の辛口御免。
その上不定期。気まぐれワガママ放題の無法地帯。
どうぞ大目に見てください。

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あけおめからNowhere Boy 00:12



あけましておめでとうございます。
ことしもどうぞよろしくお願いいたします。

昨年末にかなり慌ただしくバタバタしたので、正直疲労蓄積が激しくダウン寸前だったので、
正月は夫と子供だけで2日から夫の実家へ帰省となりました。
私はなんと人生初めてのひとり正月!(独身時代も絶対実家へ帰っていたため)
なので、正月にひとりでしかできないことをと、
テアトル徳山で上映の「Nowhere Boy」を観に。
周南市まで車で1時間半足らず。

ビートルズ映画、というよりも「ジョン・レノンがジョン・レノンになるまでの青春」ってことで
ジョンだからというよりも、複雑な家庭環境の傷つきやすい少年の話、という感じで
でもジュリアとミミがいたからこそジョンになったんだという、
ほんとにこうだったのかも知れないなあ、と思わせるリリカルさとリアル感がありました。

しっかしまあ、ほおんとにジョンがそっくりなんだ。こうも似ている人がいるのかと思うくらい。
声やリヴァプール訛りやらまで徹底していて、うわあ、すっごいなあ、と。
最初の一撃から、あのジャ〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!だし
(あれこの曲まだできてないだろ?と思ったw)
他にもいろいろ小ネタが散りばめられていて、ファンならニヤリにやりだし、
あのエピソードもあの絵もあの場所も、私たちはそれぞればらばらの「一つのエピソード」として知っていたことが
ジョンの人生の日々の中に、きちんと「連続して生きていたもの」のかけらなんだと感じられて
統合性にリアリティがあって自然だったのが見事でした。

自分としてはジュリアの奔放さも面白いながら「これじゃあミミ伯母さんがかわいそうだよなあ」とミミ伯母さん立場に立っていたことが、
自分自身でちょっと驚きで
「ここまで世話して育てるってことは、ほんとに大変なんだよ」と。お母さん目線だなあw

ジョンに関しては文句なし!なんだけど、ポールに関してはちょっとなあ。
あんな「地味」な人じゃなかったと思うのよ。持って生まれた外向的性格で
ハンサムでモッテモテだったって話だし。甘いマスクにスレンダー、彼もかなりのテディだったはずだよね?
ビートルズのリーダーも「個性のジョンにするかハンサムで圧倒的なアイドル性のポールにするか」とジョージ・マーティンは悩んだそうだ。
まあ、ジョンが17でポールが15て、差はつけてよかったのかもしれないけどね。

あと、やったら煙草をよく吸う映画だったなあ。
ミミもジュリアももちろんジョンも友だちも街の人もみんなすうすう。
今時はこんなに煙草吸うシーンてみないから(ってこれもなんだかねえ)新鮮だった。

全体的に「ああイギリス映画らしい映画だな」という感じ。コじゃれて抑制が効いてて
色彩、光、すべてのトーンが上品。カッコイイし明るいし、クリア(もっとジョンの子供時代のリヴァプールは炭鉱街だからくすんで汚れた感じをイメージしていた)でクリーン。

ただ、カットがテンポ良く、リズム感もあってよかったのだけど、一番の山場くらいはもっとディープにダークにしても良かったんじゃないかなあ。
全体的に、同じリズムで同じように過ごしていった感じが。最後「え?これでおわり?」みたいな。

どうしてもこれは仕方ないが、「ビートルズ演奏のシーン」のあのほとばしる感じを、もっと観たかった。
演奏がすっごくよかったから、よけいに…これはこの映画に望むことではないんだけどね、
ジョンもみんなも、すっごくよかったから余計に。

しかしこの、日本公開のキャッチは秀逸だなあ。まさしくそうだと思う。
ジョンは愛を叫んでいたんだよね。





| Movie | comments(3) | - | posted by satosugar
Alice In Wonderland 22:02
JUGEMテーマ:洋画
 
めずらしい書き方で。普通の日記風にw

今日はリアル友達うさこさんと「Alice In Wondreland」を観に行きました。
3D初体験(遊園地とかなんとか博とかは除く)。「アパター」というのは
SFファンタジーにほとんど興味のなくちょっときつそうなのでパスでした。
今回も、3Dよりも何よりも、とにかく大好きティム・バートンなので。

美術というか、絵は手が込んでて贅沢でそして、いちいちオシャレ!だった。
アリスの衣装などは、大きくなっても小さくなっても「ああそうなのね」と納得&カワイイ。
赤の女王にもらったカーテンで作った服なんて、一番Coolだった!
(Johnny Weirに着せて滑ったらいいのに…と思ってしまった私はまあ、中毒患者ですから)

しかしながら、これが3D映画で面白かったかと言えば、
「別にそれはどっちでもよかったかなあ」という感じ。
このくらいの映像は、普通に2Dで見ても「わあ!」と思う気がする。
というか、よくわかったのですが、3Dって「三次元」でなく「飛び出す絵本」なのね。
モノどおしの距離感はあるけど、空間感とか空気感はない。
立体感はあるけど、質感は弱い。
これは3DだからというよりCGだからなのかもしれないが。

そして飛び出してきたり映像が派手派手だったり、メガネonメガネだったので
焦点が合いにくかったりしたせいで
(その上フットライトがメガネに反射して映り込んで途中からハンカチをかぶって見た)
ものすごーく視神経疲れた。
同年代おともだちうさこさん
「なんだか疲れるねえ」
「もちょっと普通に静かでも面白いのとかみたいねえ」
…まあ、問題は私たちのオトシなのかもですがw

わたしはといえば、こないだDVD借りてみた
「グッバイ!レーニン」(ほーーーんんとによかった!)
「バス男」(ジョン・ヘダー最高。ビーバス&バッドヘッドを思い出す。大好き)
「キンキー・ブーツ」(イギリスのこの手が一番好き。キウェテル・イジョフォーのドラァグクイーンが凄い!)
「ONCE」(人肌アイルランドの純粋音楽映画。心が澄む)
「Blades of Glory」(「俺たちフィギュアスケーター」すばらしいオバカ!)
なんかを普通に見る方が面白い、というこの単館系ミニシアター体質だからなあ…

スコセッシ監督も3Dを撮るというニュースを聞いて、そのトライ精神には脱帽。

| Movie | comments(2) | - | posted by satosugar
おいしいものたべたら元気になるでしょ?…『南極料理人』 15:27
JUGEMテーマ:邦画
  「秋の映画祭」もう1本は『南極料理人』です。
相変わらず、ネタバレありそうですから、もしアレだったらすみません…

『バグダッド・カフェ』『かもめ食堂』なんかが好きでなおかつ
『青春デンデケデケデケ』『ピンポン』『ウオーターボーイズ』の好きな私にはたまりませんでした。

まず最初から脱力系で笑えます。「あそう、そーゆーことなのねw」
堺雅人はまだしも、生瀬勝久、豊原功補、きたろう、そのたの方々のリアルなトホホ具合は
さすがにオバカなオトコノコ映画大好きといえども、「マジですか…(汗)」と思うほど
息苦しさというかこう、ヌケ感のなさを感じさせます。
それが中年男8人の「男子寮生活」。なんだかねえ(爆
そう、ほんとに、南極、などという状況よりも「こりゃあ男子寮物語だなあ」という感じ。

その「なんだかねえ」感はもちろん狙い通りで、登場人物達が全員そう思っているわけで。
観る方は南極観測隊、などというと、「太郎次郎」とかの世界で
「渡哲也とかがでてきて極寒のなか必死で任務を遂行する」などというどちらかというと「八甲田山」的なイメージだったのだけど
こんなトホホな感じなんだあ、とびっくり。
よく考えると、極限の閉鎖状況であるけど仲間がいて食料もあり通信もできる。
戦場の兵士は実は食べることしか考えてなかった、と水木しげるも書いていたけど
ここは、命の危険もないし、何しろ期限付きなんだし。
しかし反対に言えば「命の危険もないし期限つきだしご飯はいっぱいあるけど
極寒の閉塞状況に単身赴任で1年半男ばかりで閉じ込められる」わけで。
男って、中年になっても家族(奥さん子供)から離されるとこんなになさけなーく子供になっちゃうのかw
でもこの状況を「ここは自由だよなあ、うるさくいう人もいないしお金をせびりにくる息子もいないし」とわざと言わせちゃったりもする。
中年男ならではの、とてもアイロニカルなセリフ。

「帰りたい」「家族に会いたい」という想いすら当の家族には軽く扱われ、かわいそうなおじさん達はなんとかこの毎日を一緒に過ごそうとする。

そこで「たべること」になる。
これはもう、見ていただいたら一番わかるのだけど、
「おいしい」ってのはどんなことか
食事をする、ってのはどういうことか、というのが
この映画ではじんわりあがってきます。
だからこの映画、は南極映画、というよりも「家族映画」だと。
料理番の西村君は、あの手この手で食卓をつくり出していきます。
バラバラに集まったばらばらの男たちが「同じ釜の飯」集団となり、
西村君を思いやるきっかけがあり
最後に見事にひとつの「よくある情景」になったのには笑えて心熱くなります。
この後半は、世のお母さんならだれでも「あるあるある…」と思うのではないかな。

そして「私は家族に、西村君ほど心あるお料理をつくっているだろうか?」と
日々の自分の料理ぶりを思い出して心がチクリと傷んだりするのではないかと…w

それは腕とか材料とかじゃないんだよね。「心を込める」とか「愛情料理」とか
そういうことよりももっとベーシックに
「いっしょにいきている」ってことなんだよと。



それにしてもですね、予告編で流れたいくつかの映画のほとんどに、
香川照之が入っていたのには笑ってしまった。いやもう、今やあの人は外せませんね。
この映画の生瀬、豊原も然り。こういうメンツが揃うと悪いわけがない。

今日からの『坂の上の雲』には香川、来年の『龍馬伝』には香川(なんと岩崎弥太郎!
あのいやらしーーい性格の奴をやれるのはこの人しかいないかも!)
生瀬(わが長州の聖人・吉田松陰)大森南朋(武市半平太)などまた、すばらしい役者揃い。
特に『龍馬伝』は、今では飛ぶ鳥落とす凄腕ディレクター・演出の大友啓史。
岩崎弥太郎が狂言廻しというのは、ちょっとダークな、びっくりする視点であるけれども
全く新しい岩崎弥太郎や龍馬を創るかもしれない、と期待大。



| Movie | comments(0) | - | posted by satosugar
「ディア・ドクター」は「手入れ」していたのだ 14:31
JUGEMテーマ:邦画
  地元のシネコンはこの時期「秋の映画祭」といって、単館モノとかミニシアター系なんかのちょい前の奴を2週間次々と上映してくれる。
ほぼどの作品もDVDがでてるくらいのなのでビミョーなのだけど、今回はどうしても観たい2本があったので前売り1000円を購入して臨んだw。

以下、ネタバレありますのでご注意を。

「ディア・ドクター」
西川美和監督は初めて。前作の「ゆれる」は気にはなっていたが、かなり重そうな気がして手が出せなかった。
今回はそそれほどでもないだろうが、やはり「カタルシス」にはちょっと遠い、もや〜っとした感じがずーっと残る。
それが決して「イヤ」な感じではない。ごろんとした、あの映画の中に「血肉のある世界」があるような、そういう感じ。

今回は笑福亭鶴瓶主演。「これは絶対いいに違いない」と私は唾つけてましたw
鶴瓶という人は、えびす顔のいい人、というのが一般的イメージなんでしょうが、
私にとってこの人は「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」の人なのだ。
知ってる方がいたら、是非反応して欲しい!
あの、ラジオ大阪日曜日の深夜、スポンサー無し(途中から千房がついてくれたのだがこれも「一肌脱いで」くれたのだ)終了時間未定、テーマ無しの出たとこ勝負・だらだらバナシの超ユル番組。内容はほぼ「おばちゃんの井戸端話」だけど、深い。
「この人の握ったおにぎりは食べられるか」
「○○はおばんの皮を被ったおじん」
など、人間洞察が深いというかユーモアとペーソスとイジワルというか、するめを噛むような
人情話やリスナーのハガキを読んでトークをしていたのですね。
決して「いい人」なのではない。
小ずるいし小心者だし軽薄だし野次馬だし計算高い(というイメージがある)
そのあとテレビでやっていた『突然ガバチョ』や『パペポTV』今やっている『家族に乾杯!』などは、みーんなこの「ぬかるみの世界」の発展系です。
もう一つは、クドカンドラマ『タイガー&ドラゴン』でやくざの親分役。
どっか不気味に悪そうなところもあって、非常によかったのだ。

さてその鶴瓶が偽医者だというのは、前情報から入ってきていたし映画でも結構早々にわかるのでそれが大きなポイントではない。
映画のテーマは「誰もが何かになりすまして生きている」。このユルサ・危うさ・よるべのなさと、それで成り立たせる切なさ。
以前このブログで私は友だちと大げんかしたのだが、「自分が何者か」を主張する奴ほど信用できない。「自分が何者か」というのはいつも、他人との間で創られていくモノなのだ。
先日朝日新聞で齋藤美奈子が「プロフェッショナルがなんぼのモノか」という視点の文芸作品がいくつか出てきていると論評していた。
強い共通項ではないのだけど、なんとなく「同じような気分」があるのではないか。
求められるモノに応えていく、必要とされる、そうやって中身が蓄積されていく。
それがバランスだし生き場所だしその人が「何者か」になっていく過程である。

ただ、それでよかったはずなのか、というとその辺はそうともいいきれない。
「自分が何者か」が必要なのは、「社会に対する責任」を明らかにするときだ。
伊野には3回、皮が破れそうで危ない場面がある。
いずれも「死」に直面しなくてはいけない状況(臨終場面、救急処置場面、そして告知と家族への説明場面)である。
「医者」という「何者か」は、「死」と「命」に「主体的に生きること」以外の知識と経験と視点で示唆し判断をする存在なのだ、ということがわかる。
それは、「医師として」対峙しなくてはならない、というか「医師にしか対峙できない」存在理由である。

では、伊野は何者だったのか。
製薬会社のプロパー・斎門(この香川照之がまたすばらしい!)が刑事に
「…(自分が倒れたときに刑事が差し出した)この手は何ですか?まさか愛ではないですよね?
でも手が出てるじゃないですか?
…こういうことじゃないですかね?」
と捨て鉢に言う。
私はこの場面が一番好き。

何か、というはっきりした言葉ではくくれない、生きていくときに複雑に起こる想い。
差し出した手は「善意」でもない。
あえて言えば「共生感」みたいなものなのではないかしら。

答えは、先日読んだ養老孟司氏のエッセイ『手入れ文化と日本』(白日社)にあった。

原生林でもなく人口都市でもない「里山」は、自然と人間の生活が共存共生することそのものが目的である。自分達人間が長く生きるように自然も生かす、というスタンスに、厳密で絶対的な「善悪」はない。その「手入れ」は私たちの生き方そのものでもあった。
大事なことは、お化粧にしても子育てにしても、結局毎日毎日手入れをするということになります。
どういうつもりでどこにもっていくのかはわからないのだけれども、
それが見えなくてもともかくそれをやるのだということです。
そうやってきたのが日本人の生き方で、それはある意味で自然が非常に強いところの特徴です。

伊野は「医療」をしていたのではない。村人の「手入れ」をしていたのだと思う。
最初は自分が生きるために。そして、村人も生きるために。
しかし、村人を本当に生かすためには、自分の皮では無理があった。

「手入れをする」という状態を、思い出して欲しい。「管理する」とどう違うのか。
そこに、何がこもっていて、何が必要なのか。
枯れると知ってて育てる花壇の「手入れ」
イチローが子供の時から自分の野球道具に毎日していた「手入れ」

最後の場面は賛否両論あるけれども、私はあれがあってよかった。
伊野が、やめられなくなってしまった「医者の皮を被った手入れ」だが、
医者の白衣を捨てて皮がなくなっても、彼の素として「手入れ」をしにきたという
オチとファンタジーは
彼をトリックスターとして、映画にいい着地点をつけたのである。


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